夜 間 飛 行 惑 星

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□ 箱庭(小説) □

衝 動

 飲み込んだふりして口の中に残してた錠剤を吐き捨てて、消灯後の病室の窓から抜け出した。
 二階だったけど、配水管を伝い降りれば楽勝。すぐに、裸足の足の裏が夜露に湿った土を踏んだ。紐を結んで首にひっかけてきたスニーカーを履いて、走り出す。
 記録的な寒波が訪れているという。確かに半端じゃなく寒い。ネルのパジャマの上からパーカを羽織っただけの格好では、あっけなく凍えてしまえそうだ。
 だから俺は走る。ひた走る。
 深夜の路地は人通りも絶え、奇妙な格好で駆けてゆく俺は自由だ。
 坂道を下り高架をくぐって、俺は走りつづける。不思議と息切れしない。ランナーズ・ハイというやつだろうか。
 飛ぶように俺は駆ける。疾走する。
(もっと速くもっと高くもっと遠くもっと先へ、もっともっと――)


 発作が来るのは決まって明け方だった。
 家族が寝静まった夜中に起き出して、ビデオを見たりチャットに出入りしたりしているうちに、夜が白んでくる。
 カーテンの向こうで空が明るくなってゆく。覚醒と眠気のはざまで、俺はゆらゆらしている。そんなとき、何かが胃の腑を突き上げて噴き出してくるのだった。
 俺はそいつを捕まえようとする。そいつは身をくねらせて逃げる。俺は手を伸ばす。届きそうになったところでかわされる。俺はさらに指を伸ばす。爪がかかりそうになるが逃げられる。何度か繰り返して、今度こそ掴んだと思ったら、そいつはぱっと散る。
 実体のない、薄黒い、靄のような、それでいて重く、窒息させる、何か。
 あああああ、と俺は叫ぶ。声には出さずに。絶叫する。誰も聞かない悲鳴を上げる。そして抽斗を開けカッターナイフを取り出し錆びた先端を折り捨て震える手でそのまま、引き裂く。俺にまとわりつく靄のような奴を。俺と世界を隔てている膜を。呼吸ができるように。声が届くように。
 裂く叫ぶ裂く叫ぶ裂く――
 やがて俺は我に返る。血だらけの腕を身体の両脇に垂らして茫然と床に座りこんだまま。
 脈打つ痛みがかろうじて、俺を現世に繋いでいた。


 コンビニを見つけたが、財布も携帯も取り上げられたまま出てきてしまったので飲み物も買えない。せめて顔を洗って口をすすごうと、店の中に入る。
 いらっしゃいませと声を上げた店員は、髪を振り乱した俺の風体を見るなりぎょっとしたように目を見開きすぐに逸らした。見世物じゃねえぞコラ、とすごんでやってもよかったのだが、実りない行為に思えたので止しておく。
「なぁ、トイレ貸して」
 俺は、店の後方で棚の整理をしていた店員に声をかけた。振り返った大学生風の男は、俺と目が合うと軽くほほえみ洗面所のドアを示して会釈した。その目に蔑みの色はなかった。
 俺が用を足し顔を洗って出てくると、男は飲料の仕分けをしているところだった。賞味期限切れの商品を下げるのだろう、選り分けてカゴに入れている。
「それひとつもらえない?」
 男の横に立って俺は訊いてみた。男は手を止めて俺を見た。
「走ってきたから喉が……」
 俺が言い終えるより速く、男は棚から掌サイズのパック飲料を二つ取り、カゴに入れるふりをして俺の手に押しつけた。
「サンキュ」
 男は俺の目を見て再びほほえむと、礼には及ばないというようにごく小さく首を横に振った。それから、何事もなかった顔で作業に戻った。俺は店を出た。
 駐車場を抜け店を離れてから、もらったパックにストローを突き刺して飲む。お茶と野菜ジュース。
 男がこれを、あの一瞬で選んだのかたまたま手に取っただけなのかはわからない。だがその250ml×2は、渇いた俺の喉と細胞を隙間なく浸し満たした。
 男の胸には名札があった。ひらがなで「さとみ」と記されていた。まさか名前ではないだろうから「里見」とでも書くのだろう。
 「サトミ、ありがとう」と俺はつぶやいてみた。なかなか悪くない。俺はサトミを連れてゆくことを決める。
「行こうぜ、サトミ」
 そう呼びかけて地面を蹴り、走り出す。サトミはまるで歩いているようにしか見えないのに俺と同じ速度で、ぴったり並んでついてくる。ときどき横目で見やると、そのたびに目を細めて笑い返してくる。俺までなんだか楽しくなってくる。
 両の拳を天に突き上げ、犬のように叫びながら俺は駆けた。声を出して笑うことなんて、長らくなかった気がする。
 いずれ捕まって連れ戻されるのは承知の上だ。それでも今は、この衝動に身を任せていたい。
 俺を走らせる何か。白く光るもの。俺がサトミと名づけたもの。
 腹に巣食う奴を、サトミにならもしかして祓うことだってできるんじゃないか。軽くつまんでカゴへ放り込むみたいにして。
 その希望は俺の中で、一等星みたいに輝いた。
 ああ俺は、どこまでだって行けるだろう。
 行こう、サトミ、どこまでも遠く高く速く、先へ先へと、力のつづく限り。
 いつのまにか夜が明けようとしていた。身体の芯から噴水のように笑いが溢れだしてくる、その勢いのまま俺は走りつづける。サトミと肩を並べて。
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