夜 間 飛 行 惑 星

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□ 箱庭(小説) □

クリスマス


神さまでもサンタ・クロースでも誰でもいい。

どうか、

どうかあのひとをわたしにください。



 そんなことを考えながら、金色のベルに「世界平和」と書いて樅の枝に結わえた。
 皆が思い思いの願い事を託してつるしたベルは、風が吹くとしゃらしゃらと軽い音を立てる。「幸せ」という文字が見えた。
 元通りに手袋をはめ、ゆるんできたマフラーを結び直して歩き出す。
 もうすぐあの人に会える。
 そう思うと、自然に足が急ぐ。
 一分でも一秒でも早く会いたい。長く会っていたい。
 だってあの人は私のものではないのだから。


 街は早くもイルミネーションに彩られ、目に眩しい。
 この季節の通りを歩くのが、私は好きだった。
 人々のちいさな善意、奉仕や工夫、いくらかの打算。そんなものがきらきらと街に溢れかえるのを眺めるのが好きだった。
 去年までは。
 一人暮らしの部屋にツリーを持ち帰ったこともある、一人でホールケーキをまるごと食べたこともある。店先にこまごまとした玩具(オーナメント)が並んでいると、何かひとつくらい買ってみないではいられない。
 そんなにも、この季節を愛していたのに。
 今年の私は無心ではいられない。
 あの人と出逢ったことは、そんなにも私を遠くへ押し流してしまった。


 いつもの喫茶店のいつもの席で、あの人は私を待っていた。
「ごめんなさい、遅くなって」
 声をかけると手にしていた文庫本を閉じて私を見上げ、僕も今来たばかりだから、と笑った。
 ホットチャイを頼んで、マフラーをほどく。
 店の中は適度に混み合って適度に暖かく、隅の席でひっそりと語り合うにはちょうど良かった。密会、という言葉が頭をよぎる。
 そう、これは密会なのだ。
 彼には妻がいる。
 大学時代から七年越しの交際の末に結ばれたという妻を、彼が深く愛していることを私は知っている。
 知っていてそれでも、こう思わずにはいられないのだ。彼は私のことも愛してくれている、と。
 それはけして私の自惚れではない。誠実そう、かつ気楽そうに見える彼のなかでどのような化学反応があったか私には知るよしもないが、彼は掛け値なしに私を愛してくれている。彼の態度の端々から、そのことが伝わってくる。
 私にはそれがたまらなく嬉しかった。誰かに大事にされるというのがどういうことかを、私は彼によって知った。
 しばらく他愛もない近況を報告しあってから、それぞれのカップが空になるのを待って彼が言った。
「出ようか」
 私たちは並んで通りを歩いた。
 腕を組み腰を抱き合った何組ものカップルとすれ違う。羨ましいとは思わない。それでも、荒んだ気持ちが心を撫でるのは避けられなかった。
 あんなふうに何の臆面もなく自分たちが「繋がっている」ことをひけらかして歩けるなんて、恥知らず。
 少し遅れた私を気遣って、あの人が振り返る。
「靴に石が入っちゃって」
 疑うこともなく信じた顔で、あの人はまた前を向く。日に焼けた項を私は見ている。
 私に肉食獣のような牙があれば、あの首の骨を噛み砕くことだってできるのに。
 現実には、痣ひとつ残すこともできない。


 二人でピザを食べ、お風呂に入り、ベッドで戯れ合って、別れた。
「またメールする」
 あの人は屈託なく笑って、手を振りながら地下道へ消えていった。
 振り返した手が硬くならないうちにポケットへ突っ込んで、私は通りを戻った。
 地下鉄に乗って二十分揺られて、あの人は自分の家へ帰り着く。家ではあの人の妻が待っていて、暖かい笑顔であの人を迎え入れる。あの人の肌に擦り込まれた石鹸の匂いに、彼女は気付くだろうか。
 二人で通りを歩いているとき、ショーウインドウにちらちらと目をやっている私に彼が言ったのだ。
「何かほしいものはない?少し早いけど、クリスマス・プレゼントってことで」
 耳打ちされたやさしい言葉は、私を打ちのめした。
 少し早いプレゼント、それは、あの人と私が一緒にクリスマスを過ごせないことの証明だった。
「…何も。いらない」
 形に残るものはほしくないの、と早口で付け足した。あの人は、そう、とだけ応えてもう何も言わなかった。
 ほんとうにほしいものはひとつだけ。
 それが手に入らないのなら、ほかには何もいらない。
 沿道の樹々に架けられた灯りが滲む。あの人と会ってから、私は涙もろくなった。
 また、あの人からのメールを待つ長い日々が始まる。
 この季節、この街で、ほがらかに満ち足りた人々に揉まれながら、どこまでそれに耐えられるだろう。
 自分がこんなふうにひとを好きになるなんて思ってもみなかった。
 もっと違う出会い方をしていれば、手をつないでこの通りを歩けたかもしれなかったのに。
 思う心を抑えられずに、私は吠えた。走り出した。
 私にぶつかられた人たちが迷惑そうに顔をしかめるのが、見なくても分かった。構わなかった。蹴散らしてやりたかった。
 どこからか、「We Wish You a Merry Christmas」と歌う声が聴こえてくる。「Happy Christmas!」の垂れ幕が踊る。
 私は幸福になりたかった。
 単純な幸福を信じられる人間になりたかった。
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