夜 間 飛 行 惑 星

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□ 箱庭(小説) □

喪失

 ずっと一緒にいられると思っていたのに、そうではなかった。
 ある朝、食後の珈琲を飲み終えて彼は言ったのだ。
「行かなくては」
 そうして、一年前から玄関先に引っ掛けっ放しにしていたコートを羽織り、ドアを開けて出ていってしまった。
 外はよく晴れて、まぶしかった。



「汐子さん、兄が行ってしまいました」
 報告に行ったとき、汐子さんはちょうど庭に出て花や野菜の世話をしていた。
「兄は行きました」
 つばの大きな帽子をかぶった汐子さんは、立ち上がり、静かに頷いた。
「それでは、埋めましょうか」
 二人で畑の隅に穴を掘って、彼が残していったものを埋めた。
 手帳、写真、手紙の類、重たいキーホルダーのついた家の鍵、くしゃくしゃになった紙の花(なぜこんなものを取っておいたのだろう)、映画のチケットやパンフレット、夥しい数の細々としたものども…
 次から次へと運び出し、穴の底に放り込む。かなり深く掘ったつもりだったが、すぐにいっぱいになった。
「兄はこんなにもしがらんでいたのですね」
 スコップで日記に土をかけながら、首を傾げるようにして汐子さんは笑った。
「誠実なひとだったから」
 紅茶の缶に入ったカナリアの骨もあった。ずいぶんむかしに彼と二人で飼っていた、あわいたまご色をした小鳥の、羽根の骨。
「汐子さん、これだけはわたし、取っておいてもいいでしょうか」
 汐子さんは、そうねえと少し考えるふうを見せてから頷いた。
「二人で飼っていたものなら、あなたのものでもあったのだから、構わないのじゃないかしら」
 藍色の地に金色の唐草模様のついた紅茶の缶だけを手許に残して、すべては土の下に埋められた。
 汐子さんと二人で、わずかに盛り上がった土の上に花の種を蒔いた。
「来年の春になったら、ここに水色の花が咲くわ」
 汐子さんはそう言って微笑み、お茶にしましょうと歩き出す。
 しゃきっと細い背中に夕陽の色が映えている。見つめるうち、なぜだか泣きたくなる。



 透明のポットで、汐子さんがお茶を淹れてくれた。
 ポットいっぱいに入れられた青い草の葉から、涼しいような香りが立つ。
「汐子さんは、もう慣れましたか」
 口にした途端に、くだらないことを訊いてしまった、と思った。羞じて俯いていると、汐子さんに髪を撫でられた。
「誰も、慣れることはないわ、きっと」
 汐子さんの手からも草の葉のいい匂いがして、鼻の奥が痛くなる。
「どうして行かなくてはならないのでしょう」
「どうしても行かなくてはならないのでしょう」
「時が来たら、わたしにも分かりますか」
 汐子さんは首を傾げただけだった。
 涼しい匂いのする熱いお茶は、冷たいようなほろ苦さを舌に残した。



 耳許で紅茶の缶を振ってみる。かるく乾いた音がする。
 この中に眠っているのが彼であると空想してみる。心がやさしくなる。
 重たい深緑色のコートを引っかけてドアを出ていった彼の背中を思い出してみる。足取りは軽かった。
 彼は今も、歩いているのだろう。耳を澄ませば足音が聴こえる気がする。こつりこつりと心臓の音のように規則正しい。
 目を閉じる。かすかな水音がする。土の匂いが立っている。雨が降り出したのかもしれない。
 明日の朝には、湿った土を持ち上げて、種が芽を吹くだろう。
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