夜 間 飛 行 惑 星

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□ 箱庭(小説) □

白夜

 「精神的な問題」なんてものは甘えに過ぎない。
 兄から頭ごなしに叱りつけられて、私は家を飛び出した。
 目を上げれば上空を、暗灰色の雲がものすごい勢いで流れてゆく。嵐が近付いている。
 最終のバスに飛び乗り隣町まで出、駅で夜行列車の切符を買った。一番早くに発つ、一番遠くまで行く汽車。もちろん片道切符だ。戻るつもりはない。
 発車までの時間つぶしに夕刊を一部買い求め、待合所の隅に陣取る。同じ汽車を待つと思しき数人が、手持ち無沙汰げに集っていた。
 堅い木のベンチに腰を据え、私は夕刊に目を通した。相変わらず世間は不景気で、倒産した社長が首を括ったの、物盗りが横行しているのといった記事が社会面を埋めていた。
 読み終えた新聞を畳んで膝に乗せ、待合の時計を見上げておやっと思った。汽車の到着予定時刻を過ぎている。
 私は立ち上がってホームへ出、駅員に尋ねた。
「この汽車はまだですか」
 私の切符をちらと見た駅員の答えは簡潔明瞭だった。
「前の駅で事故に巻き込まれまして、到着が遅れているのです」
 溜息をついて、私は待合所に戻った。元いた席へ行きかけて、足が止まった。
 誰かがそこに座って、私が放りっぱなしにしていった新聞を広げて読んでいる。
「失礼ですが」
 私は彼の前に立ち、静かに声をかけた。新聞に差した影で自分が呼ばれていると気付いたのか、彼も顔を上げて私を見た。
 そのときの気持ちをなんと表現したらいいだろう。
 私には、呆然と彼の顔を見下ろすことしかできなかった。用意していた次の言葉は、喉の先で潰えて消えた。
 彼はいくぶん怪訝そうに眉をひそめ、それから、ああ、と低く頷いた。
「もしかして、貴方のものでしたか」
 礼とともに差し出された新聞を受け取って、反射的に、私は彼の隣に腰を下ろした。彼の顔をよく確かめたかったこともある。
 私が視線を外さないのに気付いて、一度は正面へ向いた彼の顔がふたたびこちらを向く。
 もはや見間違いようがなかった。
 それは私の顔だった。


 兄と私とは、ほんの幼いころから、折り合うということができなかった。
 私より十も年長の兄は、何かにつけて私のすることに口を挟んできた。曰く、『俺の言うとおりにしておれば、間違いはないから』。
 父を早くに亡くしたことも、影響していただろう。兄は母以上に、私を監督する責任を感じているらしかった。
 だが、それ以上に。
 兄と私の本質には、どうしても相容れないものが在るのだった。
 決して馴染まず、交われば酸のように互いを侵蝕してしまう、ある種の領域。
 私は早くからそれに気付いていた。兄はついに、それを覚らなかった。
 訣別は、だから避けられない運命だったのだ。


 はっとして眉間に力を入れると、視界が戻ってきた。
 彼の顔が間近にあった。心配そうに眉根を寄せたその顔はやはり、鏡の中に見出す己と寸分違わぬ造りをしていた。
「つかぬことをお尋ねしますが」
 もっとも有り得そうな可能性を考えて、私は彼に問いを投げた。
「生き別れのご兄弟など、いらっしゃいませんか」
 彼は一瞬目を見開き、ついで、崩れるように笑い出した。笑いながら手を振る。
「いいえ、そのような者はおりません」
「ご自分でご存知ないだけということは」
 有り得ません、と彼は静かに答え、私の目を見た。
「わたしは、生まれてから死ぬまでをひとりで過ごす者です」
 はぐらかされたと感じた私が顔をしかめるのを見て、彼はさらに可笑しそうに目を細めた。
 不愉快になった私は、自分から視線を逸らした。膝に肘をついて顎を支え、前屈みの姿勢を取る。
 私が身体を丸めるのは、腹に何かが湧き上がって治まらないときの、癖だった。それを兄は、腹が痛むのかと真顔で問うては、私の怒りに火を注いだものだ。
 物思いに耽っていると、頭上から声が降った。
「わたしが何故ここに現れたのか、今夜のうちには貴方にも分かると思いますよ」
 私は応えなかった。彼は笑ったようだった。
 しばらくそうしていると、やがて鼓動も落ち着いてきた。私は息をついて頭を起こし、そして、違和感に竦んだ。
 窓の外が白んでいる。
 そんなはずはない。私の身体感覚では、先に列車の遅れを確かめてからものの一時間も経ってはいない。
 壁の時計に目をやる。靄でもかかっているように、文字盤が霞んで時刻が確認できない。慌てて、上着の隠しから懐中時計を取り出す。やはり目が霞んで文字が読み取れなかった。
 私は両手で目を擦った。何度も何度も擦った。そのうち頭がぼうっとしてきた。
 自分が何のためにここへ来たのか、何をしているのか、何を待っているのか、すべてが急速に意識から遠ざかってゆく。
 ――不意に、汽笛の音が聴こえた。
「ああ、汽車が来たようですよ」
 隣でつぶやく彼の声が、何かの託宣のように際立っていた。
 私は頷いて立ち上がった。相変わらず霞む視界で、ホームへの出口を探した。彼が傍らから、私の手を取って支えてくれる。それがとても自然なことに感じられた。
 そのとき、
 肩にがつっと鈍い衝撃が走った。


 無理矢理に振り向かされた私の正面に立っているのは、兄だった。
「このど阿呆!」
 ぼうっと立ち尽くしている私の横面を、兄は容赦ない力で打った。私はよろけ、無様に地面に崩れた。
「逃げて済むと思っているのか、逃げれば済むと思っているのか!」
 兄はシャツの襟を掴んで私を引っ立たせ、もう一度殴りつけてきた。口の中が切れ、錆くさい味が舌に滲んだ。それでようやく、我に返る。
「――どうしてここに」
 こんなところまで、と言いたかった、それは伝わらなかったらしい。兄は顔を歪め、私の両肩に手をかけて揺さぶった。
「煙草屋の婆さんが、お前がバスに乗るのを見たと言った。車を頼んで追いかけてきたんだ」
 何が、兄をここまで連れてきたのか、私には理解できなかった。ちょうど、兄が私に迫る闇を理解できないのと同じに。
 私は笑った。何が可笑しいというのではない、ただ純粋に、腹の底から笑いが突き上げてきて堪らなくなったのだ。
 兄は不快げに目を細め、私を掴んでいた手を離した。そして一言、帰るぞ、とつぶやいた。 
 その瞬間、目の前を覆っていた幕が取り払われるように、すべてが明るみになった。
 自分が何を待っていたかを、私はようやく諒解した。
 私がうなずくと、驚いたことに兄は安堵の表情を見せた。それから、ふいと背中を向けて歩き出した。
 兄について歩き出し、駅舎を出る。
 そこで、またしても違和感に襲われた。
「……兄さん」
 私の声に振り返った兄に、私は尋ねた。
「表はずっと真っ暗でしたか」
「夜に明るい道理があるか」
 兄の言葉に不満を隠せない私の顔を覗き込んで、どうしたと兄が訊き返してくる。
「さっき…兄さんが来るわずか前、窓の外が明るくなっていたんです」
「そりゃお前、寝ぼけていたんだろう」
 納得できずに唸る私を兄が促す。腕を掴んで軽く引かれたとき、はっと気付いた。
「兄さん。私の隣にいた男を見ましたか」
 今度こそ本格的に不審なものを見る目で私を見た兄は、いいや、とかぶりを振った。
「誰も見なかった。待合所には、お前一人しかいなかったぞ?」


 汽車はとっくに出ていたのだと、翌日の新聞で私は知った。
 事故は確かに起こっていた。だが、前の駅ではなかった。
 終着駅の間近で嵐にぶつかった汽車は、倒木に乗り上げて脱線し、横倒しになった。
 折れ曲がって潰れた、前から三番目の客車に、私は乗っているはずだった。兄が迎えに来なければ。
 私の話を、兄は、夢でも見ていたのだろう、とからかった。
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